鳥取県米子市

2013年より米子市立啓成小学校から始まり、翌年から米子市立東山中学校を拠点校として中学校区の幼稚園・保育園・小学校・特別支援学校の教育機関をはじめ、公民館や人権施設など毎年収穫した種を繋ぎながらプロジェクトの拡がりを見せています。

 

<関連リンク>

米子市立東山中学校の過去の取り組み

絆プロジェクトのプロモーションビデオです。
・・・見てると 子どもたちの命の輝きに泣けてきます。

◎下記の写真をクリックするとビデオがご覧いただけます

2015年PV
2015年PV
2018年PV
2018年PV
2016年PV
2016年PV
2019年PV
2019年PV

鳥取県の他地域の取り組み

10年目の里帰り    ~米子市立啓成小学校

米子市環境美化活動奨励表彰  ~米子支部

子どもたちに学ぶ「防災・減災」 ~啓成小学校にて

全国へのメッセージ! ~小中高で毎年参加して

全国版 月刊誌の表紙に! ~鳥取県立米子工業高校

8年目の里帰り  ~米子市立啓成小学校

唐箕がやってきた!  ~東山中学校

7年目のプロジェクト ~米子市立啓成小学校

ど根性はるかのミラクル開花 ~鳥取県米子市

2020.11.16

🌻米子のど根性はるか🌻

 

暖房が必須のこの時期に、ひまわりプロジェクトin米子🌻のはるかが、まだ咲いていることをBSSテレビ放送のアナウンサーさんから連絡を頂き、突撃取材に行って来ました。

何と、コンクリートの割れ目から…‼️

BSSテレビでも放送された、ど根性ひまわり🌻

 

アナウンサーさんと、米子錦町教会の明子さんと収穫した時の写真です。

一つの花で、たぶん1000粒くらいの種がありそう✨

コロナの感染拡大で、心折れそうな日々ですが、米子からほっこり嬉しい話題です🌻

大きな看板が出来ました! ~米子高等学校

県立米子工業高等学校でプロジェクト ~鳥取県米子市

〜鳥取県立米子工業高校

 『令和2年度米工はるかのひまわり絆プロジェクト』始動〜 

 

 前日までの雨が嘘のように晴れ渡った7月31日終業式。

今年は、各クラス1鉢に増やし《コロナからの再生!地域の皆さんを元気を届けよう!》と各クラスの室長、運動部部活顧問の先生方の呼びかけで集まってくれた生徒・先生・保護者は150人あまり。保護者から命の種1粒を大きな両手を出して受け取る生徒達に皆が感動しました。各クラスで種まきが終わり、2階から撮影した写真のポーズは、はるかのH🌻

 

中海テレビ放送さんの取材も入り、賑やかで笑い声や爽やかな笑顔が溢れる今年度のスタート‼️

涙腺ゆるゆるの素晴らしい時間でした。

お世話になっている地域の皆さんに、笑顔と勇気が届きますように

米工生・先生方・保護者最高です✨

※ 今日、2日目ですが既に、たくさん発芽🌱しています😊🌻

コロナからの再生!ひまわりプロジェクトin米子

鳥取県伯耆町立岸本小学校の全校生徒での種まきの様子

米子市立東山中学校区+県立米子工業高等学校

米子工業高校で繋ぐセレモニー ~鳥取県米子市

米子工業高校で開花セレモニー ~鳥取県米子市

★鳥取県米子市の米子工業高校の開花セレモニーが行われました。

<現地レポート>
🌻鳥取県立米子工業高校、種まきに続いて開花セレモニー🌻

先日レポートさせて頂いた米工(通称)のはるか🌻
米工祭準備で全員揃うことが叶いませんでしたが100粒の種まきをしてくれた有志で記念撮影をしました☆

種まきに引き続き、テレビ局2局も取材してくださり、間近で見ることの出来なかった方々にも開花をお知らせすることが出来ました♬ by M.S

東山中学校文化祭 ~鳥取県米子市

2018年11月
鳥取県の米子市立東山中学校の文化祭を訪問し、5年に渡り東山中学校区内の教育機関や施設(保育園・幼稚園・特別支援学校・小学校・公民館)などでのプロジェクト実施にあたり 先導役として采配を振るわれ、率先して中学校での生育の姿を背中で見せ続けてこられた、秋田 治校長先生の退任に当たり、感謝状を贈呈してまいりました。 
 一人の行動実践が、周りを傍観から共感へと意識を変え協働へと昇華することで、地域が変わってゆく姿を見せていただきました。 ありがとうございます!!

東山中学校区の取り組み ~鳥取県米子市

・米子市

米子市は鳥取県の西部に位置する人口24万人の中枢都市で、境港市、島根県安来市、西拍郡の各町と隣接しています。鉄道はJR山陰本線・境線・伯備線の分岐点にあたり、道路では国道9号線・180号線・181号線・431号線、さらに山陰自動車道、米子自動車道が通り周辺各都市へと結ばれており、米子空港や境港はアジアの玄関口となるなど、山陰最大の交通の要衝と言えます。 島根・鳥取の山陰両県の中央に位置する立地は、県庁所在地ではないにもかかわらず鳥取大学医学部や山陰放送の拠点都市であることも見逃せません。 山陰最大の皆生温泉へは米子駅から15分、米子空港から10分の距離にあり、都心に隣接した温泉地を擁し、隣接の境港に水木しげるロードや記念館など必見の観光スポットもあり羨ましい限りです。

 

この地域は江戸時代より商業都市として栄え、「山陰の大阪」と呼ばれていました。その要因は中央集権からの指示ではなく、江戸時代初期から行政を地域に委嘱した「自分手政治」がはじまった事で、地域の事情に応じた行政や財政投資などが行われたことに由来するのでしょうか、その政治は237年続けられ、維新政治が始まるまで続けられたようです。 その独立独歩の精神が、これまで受け継がれてきたのでしょう。鳥取西部の米子では、商人気質で経済観念が発達しており、懐が広く、タフで芯が強く、明るく活動的であると評されています。

 

 

・はじまり

夢ハンカチってご存知でしょうか?

一人ひとりが、それぞれの夢を描いたハンカチを赤い糸でつなぎ合わせ、富士山噴火口3.7Kmを夢ハンカチで囲いドリームリングを完成させるという壮大なムーブメントです。 聞いただけで「へぇ~凄いですね~」と声が漏れてしまいます。 2012年8月24日に名古屋・東京・米子・仙台・佐賀・大阪から500人の活動部隊が集い、さらに岩手県からは夢みこしが1000Kmの道のりを超えて富士山頂に到着し、無事にドリームリングが完成しました。 この取り組みは、ドリームリングの完成がひとつの到達点ではあるものの、決して目的でないことがわかります。 それぞれの活動部隊は地元故郷で夢ハンカチを集め、当日の参加を募りながら、様々な場面での活動を広げてゆく。 意義を語り、理解から共鳴へと導く過程には、ひとつの夢を実現することで何が得られるのか? 伝える人とどのような関係性を築いてゆきたいのか そして何より愛する故郷をどんな”社会”にしたいのか、 活動をする一人ひとりがそんなハードルを越え、自らの想いを深く醸成しながら、仲間たちとの関係性を築き、夢のひとつの到達点を超えたとき 強固となったそれぞれの想いが人々を繋ぎ、新たな取り組みへと深化してゆくのでしょう。 そんな「富士夢☆米子隊」が米子に生まれたのでした。

 

2013年6月に名古屋での とある会合の懇親会で偶然に隣り合わせ、「富士夢☆米子隊」隊長の新宮 美津代さんと出会いました。 その折に来春の”はるかのひまわり”の種配布の第1号として送るお約束をしました。

 

 

・啓成小学校の取り組み

2014年度の種のリクエスト第1便として4月12日に米子の新宮さんに向けて発送しました。

その後、ご依頼により米子市立啓成小学校の内田校長先生宛にお届けすることとなり、263名の子どもたちに育てていただくことになりました。

 

水やりや雑草取りなど、子どもたちのお世話の様子をその時々にお写真とメッセージでお知らせいただきました。地域の方々と一緒になり、成長の姿を見ながら、地域の人々との繋がりを感じながら育てたようです。 夏休みでは 早朝のラジオ体操で集まる子どもたちと地域の方々で、体操が終わった後に雑草抜きや水やりが恒例となったそうです。

 

夏にはたくさんの花が開花し。子どもたちと地域の方々を笑顔にしました。

10月27日に翌年へ命を紡ぐ種取り。

卒業式には、卒業生から在校生への種の贈呈式が行われるなど、事あるごとに、自ら育てたひまわりと接し、多くの関わる大人の背中に、命が紡がれてきた事とは別の想いを感じたのだろうと思います。

 

 

・・・

 

 

年が変わり、2015年度の体育祭での満開をめざして育てていた東山中学校の、はるか、が咲き始めたということで、2015年9月3日に米子にお邪魔しました。前出の新宮さんが東山中学校区の各所にお声掛けくださり訪問させていただくことになりました。当日は新宮さんと共に、車での移動に野口みどりさんが運転で同行してくださいました。

 

まずは啓成公民館を訪問。開花の様子を拝見し、笑顔が素敵で元気いっぱいの 米子更生保護女性会 遠藤良子会長とお会いしました。

その後、五嶋様のご自宅を訪問し驚きの昼食を!(更生保護女性会について、昼食での恐縮は後述いたします)

 

 

 

・東山中学校

平成20年に開催された米子市中学校区の人権教育研究発表会では「一人ひとりを大切にし、互いに認め合い、高めあう子どもの育成」をテーマに学びあいが行われ、東山中学校区は、東山中学校と2つの小学校(啓成小学校・車尾小学校)、1つの特別支援学校(市立米子養護学校)域内の幼稚園に保育園、さらに地域の市民などが連携し、テーマに沿った事業を推進することで「しっかりと学ぶ子どもたちの育成」を行う構想が確認されました。

 

そのひとつの取り組みとして、2015年度は「はるかのひまわり絆プロジェクト」を中学校区で取り組んでいただけたようです。

 

当日、秋田校長先生を表敬訪問し、プロジェクトの始まりから、生育~開花までの様子をパソコンで拝見させていただき、その後実際の開花現場へ

数日後に迫った体育祭には、その大輪の笑顔で沢山の声援を送ってくれるだろうことを確信して、養護学校へと向かいました。

 

 

 

 

・米子市立養護学校

米子市立養護学校は昭和32年に国立米子療養所で療養中の教師や療養所の職員が、療養中の生徒を集め学習を開始したことにはじまります。

 

その後、昭和34年には米子市立福生小学校および米子市立第二中学校に皆浜分校ができ、翌年には皆浜分校の後援会ができるなど、地域の要請とその支援により昭和37年に米子市立養護学校皆浜学園が開校することになります。

 

昭和46年には国立米子病院の移転に伴い、同校も隣接地に移転し病児の学習支援や生活支援の学び舎として、子どもたちや保護者に安心と安全を提供しました。 同病院と学校は直接廊下で結ばれ、病児たちの拠り所として本来の学校機能をいかんなく発揮していたのです。

 

昭和52年には米子市立養護学校あかしや分校を開校し、翌年の11月に開校された鳥取県立米子養護学校の礎となりました。

 

きっかけは、「療養中の教師」と「療養所の職員」との会話からだったのかも知れません。病児たちを憂う想いや地域の大人としての社会的責任、さらに地域の将来は子供たちが担うという想いが、院内学習活動へ、さらに近隣の学校内への支援教室づくりへと突き動かし、その行動に感銘した地域の人々がその活動への支援に繋がり、行政をも巻き込んだ学校づくりへと発展したのだと思うのです。

そこには、心に灯った"想い"が行動となり、継続し続けることで"理念"にまで高まり、その理念が人を動かし、行政をも動かす原動力となったのでしょう。

 

それを証明するかのように、昭和43年には第7回中国地区病弱教育研究協議会の会場校を皮切りに、第17回中国地区病弱虚弱教育研究協議会会場校、東山中学校区同和教育研究発表会会場校、第17回全国病弱養護学校教頭会全国大会鳥取(米子)大会主管校、東山中学校区同和教育研究会会場校、鳥取県心身障害児就学啓発推進大会主管校、中国・四国地区病弱虚弱教育研究鳥取大会主管校、心身障害児理解推進校、平成3年度文部省指定「心身障害児適正就学推進研究校」、文部省指定研究の発表会(適正就学推進啓発大会)、障害児の社会参加と自立・就学啓発推進大会主管校、中国・四国地区病弱虚弱教育研究鳥取大会主管校、東山中学校区人権・同和教育研究会会場校、米子市中学校区人権・同和教育研究発表会会場校 など

 

地域の病弱児や心身障害児と社会への架け橋となるとともに、社会への啓蒙主体として走り続けてこられたことがよくわかります。

 

当日は、青木 勉校長先生と3年生担当の安達 敦子教諭にご面談いただきました。 

現在は、以前の病弱時児童から心身障害を持つ子どもたちが通う学校として、子どもたちに自他を大切にし助け合って生活を行い、学ぶ楽しさを知り、努力を続け、自分の良さに気づき、進んで行動する子どもたちの育成を目標とし、愛や出会い、そして人や地域の繋がりによってそれを達成しようと標榜されています。

 

なんだか難しく書いてしまいましたが、何より、当日お話しされる校長先生の想いの大きさが伝染してしまったように感じています。 その後、学校の歴史沿革を拝見し、始まりから歴史の進展。そしてその行間が読み取れるにつけ、火照っていく自身の身体を感じました。

 

はるかのひまわり、も先生方や子どもたちで大切に育てていただき、次世代への種を10月末の学習発表会で卒業生と保護者の皆さんにプレゼントされたそうです。

小さな命の種を通じて、さらに子どもたちと社会との接点が拡がり、益々つながり合える故郷になれることを願っています。

 

 

・・・壁面の代々の校長先生のお写真を拝見していると、なるほどなるほど東山中学校の秋田校長も先代の校長先生だったのですね そう思ったとき訪問時の秋田先生の言葉を思い出していました。『 ほらっ 先生方は職員室にあまり居ないでしょ うちの先生方はいつも生徒たちに寄り添っているんですよ 』